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  3. 民主主義を作り上げた人物!ルソーの功績や生涯について

民主主義を作り上げた人物!ルソーの功績や生涯について

フランスの著名な哲学者であるジャン=ジャック・ルソー。歴史の教科書などにも登場するため、名前を聞いたことのある人は多いと思います。
ですが、その功績や生涯って意外に分からないものですよね。そこで今回は、ルソーの功績や生涯について解説していきます。

目次
1.ジャン=ジャック・ルソーってどんな人物?功績は?
2.ルソーの生涯~生い立ちから晩年まで~
3.まとめ

1.ジャン=ジャック・ルソーってどんな人物?功績は?

ジャン=ジャック・ルソー(1712~1778)は、18世紀に活躍したフランスの哲学者です。
思想としては文明批判・社会批判的な立場をとっており、代表的な著作に、人民主権こそが正しい社会の形であると説いた「社会契約論」や、子どもを小さな大人として扱うことを否定し、子どもの自主性を重んじる教育論「エミール」があります。

◆ルソーの遺した功績
ルソーの発表した「社会契約論」は、近代憲法の考え方の基礎となっています。
論の発表後には絶対王政を打倒し、共和制政治を打ち立てたフランス革命(1789-1799)に大きな影響を与えました。日本においても1882年に中江兆民によって広められ、のちの自由民権運動の契機となるなど、国内外を問わず民主主義の基礎を築き上げました。
また、「エミール」で提唱した、子どもの個性と自由を尊重し、知識より先に経験を与えることが重要である、といった考えは現代の幼児教育や保育における基本となっています。

このように、ルソーの思想は現代にもしっかり引き継がれ、近代思想の土台となっているんです。

2.ルソーの生涯~生い立ちから晩年まで~

ルソーがどのような人物であるか、功績も踏まえて解説していきました。続いて、ルソーの生涯について紹介していきます。

◆幼年期
ルソーは1712年、スイスのジュネーブにて誕生しました。生まれてすぐ母を亡くし、自身も病弱であるなど、幸福とは言えない少年時代を過ごします。その後も孤児となり、奉公先で虐待を受けたりと幸せな環境には恵まれませんでした。
この頃の体験から、のちの思想の軸となる「理性より感情を重んじる」という考え方が養われ、また不幸な境遇を支えた数々の読書体験がルソーの知恵を育みました。

◆青年期~壮年期
1728年、奉公先での折檻の恐怖からルソーは逃亡を決意します。その先で実質的な保護者となるヴァランス婦人や、ルソーの非行を咎め正しい方へ導いたジャン=クロード・ゲーム助任司祭など、のちのルソーに多大な影響を与えた人物と出会っています。

その後ルソーはパリに渡って職を転々としつつ、1750年に発表した「学問芸術論」が論壇に衝撃を与えたことから思想家・哲学者としての道を歩み始めます。
これを皮切りに、ルソーは「人間不平等起原論」「社会契約論」「エミール」の三部作の執筆や音楽家としての活動が評価され、社会に広く周知されるようになっていきます。

◆晩年
ルソーは1762年に発表した「エミール」にてカトリックを否定したことから厳しく批判され、パリから故郷のスイスへと亡命します。しかしそこでも苛烈な迫害を受けイギリスへと渡りましたが、迫害から精神状態が悪化したため再びフランスへと戻ります。
フランスではお尋ね者であったものの、市民からの支持が厚く安定した生活を営めるようになります。しかし心身ともに衰えていき、1778年にその生涯を終えています。

このように、幸せとは言えない人生を送ったルソーでしたが、哲学者のカントや社会学者のレヴィストロース、自然主義作家のトルストイなど多彩な分野の偉人に影響を与えています。

まとめ

今回は「フランス革命の父」「近代思想の偉人」として知られるルソーの功績や生涯について解説していきました。ルソーの考えは、現代社会においても至るところで見られます。私たちは、ルソーの遺した多大な功績のおかげで、自由な社会での暮らしを営んでいるんですね。