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  3. 幼児教育の開祖!偉大な教育家、フレーベルの功績と生涯

幼児教育の開祖!偉大な教育家、フレーベルの功績と生涯

突然ですが、幼児教育の基礎を創り上げた人物ってご存知ですか?
その人物とは、ドイツの教育学者であるフレーベル。名前をなんとなく耳にしたことはあっても、その功績や生涯については知らない方が多いのではないでしょうか。今回は、幼児教育の開祖の一人であるフレーベルについてご紹介していきます。

目次
1.フリードリヒ・フレーベルという人物、その功績
2.フレーベルの生涯 ―幼児教育へと至るまでの長い道のり―
3.フレーベルの唱えた教育法は、普遍的なものとして残り続ける

1.フリードリヒ・フレーベルという人物、その功績

フリードリヒ・フレーベル(1782~1852)は、19世紀に活躍したドイツの教育学者です。
幼児教育の開祖として、1826年の教育理論書「人間教育」の発表や、幼稚園の原型となる1839年の「幼児教育指導者講習科」「遊びと作業の教育所」設立、知育玩具の原点とされる「恩物」の開発など、多大な功績を遺しています。

19世紀当時のヨーロッパでは、人間一人ひとりの感受性や主観に重きを置く「ロマン主義」という思想が台頭しており、フレーベルはこちらをベースとして幼児教育を形成しました。
つまり、フレーベルは子どもたちの感受性や主体性を尊重する現代教育の基礎を作った人物なんです!

2.フレーベルの生涯 ―幼児教育へと至るまでの長い道のり―

フレーベルがどんな人物か整理できたところで、続いてはその生涯に迫っていきます。

●生い立ち

フレーベルは、1782年4月21日にオーバーワイスバッハというドイツの小さな村で敬虔な牧師の家庭に生まれました。
末っ子として可愛がられましたが、生後9ヶ月で実母を亡くし、2人目の母にも疎まれ、孤独で内向的な幼少期を過ごします。この間、フレーベルの心の支えとなったのは村の自然や宗教的な教えでした。
しかし、10歳の頃に兄のもとへ引き取られると生活は改善し、その後は幸せで勤勉な少年時代を過ごします。1799年にはイェーナ大学哲学科に入学しますが、学費の面から退学し、父も死去したことから働くようになります。

●青年期

フレーベルは建築家を目指して1805年にフランクフルトへと渡りますが、そこで偶然にも小学校教師としての道を歩むことになります。当時23歳のこの転機が、のちの幼児教育へ至る第一歩となります。
教師として働く中、フレーベルは当時最高の教育家とされたヨハン・ハインリヒ・ペスタロッチと出会います。この出会いでフレーベルは教職を天職として考え、ペスタロッチに師事します。
その後ゲッティンゲン大学への入学やドイツ解放戦争への参戦を行いつつ、1816年には念願であった学校「一般ドイツ教育所」を開きます。フレーベルは財政難などに苦しみつつ、この学校の運営に注力していきます。

●壮年期~晩年

フレーベルはその活動ぶりが人々に評価され、次第に教育者として高い信頼を集めていくようになります。
そして1839年、妻の死など数々の事件を乗り越え「幼児教育指導者講習科」「遊びと作業の教育所」と生来の目標であった幼児教育機関を設立します。
フレーベルは、“庭師が植物の成長を手助けするように、教育者が子どもの成長を手助けする場所”として、この教育機関に「幼稚園(キンダーガーデン)」という名前を付けます。これこそが、幼稚園が世界で初めて誕生した瞬間だったのです。
そして1852年、フレーベルは70歳のとき志半ばでこの世を去ってしまいます。実子こそもうけなかったものの、子どもの成長に深く寄与した人生でした。

3.フレーベルの唱えた教育法は、普遍的なものとして残り続ける

フレーベルが遺した教育法は現代のスタンダードとなっており、私たちが子どもと接する際に気をつける要素の一つ一つにその思いが残っています。
「子供は5歳までに、その一生涯のすべてを学び終えるものである」という彼の遺した名言は、普遍的な考え方として残り続けることでしょう。